パワハラ実例紹介!僕が9年間働いたブラック企業体験談

自動車リサイクル

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こんにちは「ブラック企業被害者の会」講師の川尻浩作です。これから僕が2004年から2013年までの9年間勤務した、ブラック企業の体験談をご紹介します。

僕が勤務していた会社は、自動車リサイクルという業種の会社でした。

世間ではリサイクルビジネスが大きく注目を集める時代だったので、この仕事内容に僕は将来の夢と可能性を感じてたのを覚えています。

名乗らない謎の面接官

履歴書

当時23歳の僕は就職面接のため、この会社の面接室にいました。しかし、面接時間を30分すぎても誰も来ません。

面接室といっても、せまい事務所の片隅にパーテーションで区切られただけの応接室。待たされ続け40分経過した頃に、ようやくひとりの男性が現れました。

歳は40代後半、髪はボサボサ、服装も小汚い、しかもとても横柄な態度…どうやらこの男性が面接官のようです。

男性は遅れて来たことには一切触れず、自己紹介もなしに突如面接を始めました。

面接内容は至ってシンプル…というかアルバイトの面接のようなかなりレベルの低い内容

面接時間は2時間に及びましたが、ほとんどが会社の自慢話。

そして、結果は見事合格。

入社後に知ったのですが、この小汚い面接官がこの会社の社長だったのです。ここから僕の闇の9年間が始まります。

歓迎会に遅刻してきて「全員正座しろ」

新人歓迎会

入社約1ヶ月、新入社員歓迎会が開かれることになりました。その日ばかりは皆仕事を早く切り上げ、歓迎会が行われる居酒屋へ集合です。

しかし社員10名が集まる中、社長だけが現れません。携帯に電話しても連絡は取れず、その場にいた部長が仕方なしに乾杯を宣言。

社長が来たのは開始時刻から40分後。

到着するなり「何やってんだお前ら」と怒鳴り声。間髪入れず「全員正座しろ」

僕は何が起こったのか意味が分かりません。

どうやら会社のトップである自分を差し置いて飲み会をスタートしたこと腹を立てたようです。

全員正座の説教は1時間ほど続き、重い空気のまま歓迎会は終了。

この時点で気が付いていれば、違う道もあっただろうと今も考えてしまいます。

2時間以上、恫喝と罵倒され続ける「呼び出し」

社長の呼び出し

当時、社員に恐れられていたのが、社長による「呼び出し」です。

社長室から突然「伊藤!」と怒鳴り声が…その声で社員全員が「呼び出し」と認識するのです。

僕も入社3ヶ月頃になると、「また始まったか…」とわかるようになっていました。

伊藤が呼び出され、始めは今月の売上について厳しく問いただされます。

そのくらい当たり前じゃないか?とお思いでしょうが、この会社は違います。

「問いただす」とは言葉だけで、社長に何を言い返しても話の腰を折られ、すべての逃げ道を奪った後で人間否定がスタートするのです。

「今まで何も考えず生きてきたんだろう」
「頭使ってんのか?」
「休憩するな、休まず働け」
「会社に対して反省文を書け」
「親の教育がおかしいんじゃないか?」
「お前らは使い捨てだ」

昼休み直前でも、定時を過ぎた夜でも関係なしに最低2時間は立ちっぱなしで罵倒され続けます。

売上改善に関する内容は一切無しで、いじめ、差別、家族否定、悪口を含む単なるパワハラでしかありませんでした。

「呼び出し」は社長の機嫌が悪い時に行われます。社長は社員を踏み潰す好意がストレス発散になったのでしょう。毎回、呼び出し終了後はスッキリした様子で外出するのでした。

そもそも、「今日あの人機嫌がいい」とか「機嫌が悪い」とか言われるような人間はクズだと思います。

教祖様による洗脳

洗脳する教祖様

会社では月に一度、社外の講師を招き「幸福の扉」と呼ばれるセミナーを行っていました。

【セミナータイトル】
―大宇宙の大いなるエネルギー「潜在意識」を活用して成功の扉への扉を…―

いわゆる怪しい宗教で身の毛もよだつ内容になっています。

  • スプーン曲げ
  • 超能力鍋
  • 悪い氣を体から排出するらしい変な呼吸法
  • その他(気功、瞑想、座禅、催眠etc)

このセミナー、僕のような常人には理解不能でした。

ちなみに1泊2日一人様50万円~でお勉強できますので、体験したい方はご連絡くださいね。

それはさておき、我が社の社長はこの講師にすっかり洗脳され神様のように崇めていました。

この講師の言うことは絶対です。リサイクルに関して知識も経験もないのに経営に口出しするようになり、会社の採用面接にも同席するようになりました。

時には「従業員へボーナスを支給しないように」と指示し、社長は言われるがまま従います。

月一回の講師料は100万円を超えていたらしいです。僕が退職するころには100回以上のセミナーが開かれていたので総額1億円ですね。

社長夫人の口癖は「知らなかった」

社長夫人

僕が勤務する会社は家族経営で、社長夫人が専務取締役(兼 総務&経理)になっています。

この社長夫人もなかなかの頭の悪さを発揮していました。

毎年12月に年末調整ってありますよね。

その金額に不信を感じた同僚が詳しい人に再計算してもらうと、2万円も誤差があったんです。

間違えを専務に報告すると、悪びれた様子もなく「私知らなかった」の一言。

同僚は、次の年から自分で年末調整をするようになりました。

このように算数ができない人間が経理をしているんです、ゾッとしますよね。

陰湿でケチなおねぇ工場長

ケチな工場長

会社のトップ3である工場長は会社設立当初の唯一の生き残りです。

生き残りと言っても、有能な人間は辞めていくので、ただ残ってしまっただけのブラックな人間です。

初老男性なんですが怒るとおねぇ口調になるので、おねぇ工場長と呼ばれてました。

工場長は、かげぐちが大好きで自分のお気に入りの社員と二人きりになると、別の社員の悪口を言うのだけが楽しみでした。

声が小さく、口が臭いのでほとんど何を言っているか理解できなかったそうですが…

直属の部下が社長のイジメに遭っていても、助けるどころか工場長も社長と一緒にいじめるのでした。

とても器が小さなく、卑怯でケチな人間でした。反面教師としては一流です。

会議は公開処刑の場

会議は公開処刑の場

会社では毎月1日に「営業情報幹部会議」という社長を含め20名前後の会議があります。

主任以上が集まるこの会議は、「公開処刑の場」と言われていました。

ある日、上司が会社を休んでしまい代わりに僕が会議にでることになりました。上司は会議に出席したくなくて仮病なのはわかっていたので、完全にとばっちりです。

会議資料をみて、まず僕が驚いたのが会議の議題でした。

議題「会議の議題を考える」

???これだけでは意味がわかりませんが、会議が始まってようやく理解できました。

つまり、「毎月の会議の議題が思いつかないので、皆で考えよう」という議題みたいです。

時給が高い役職が付いた連中が集まって、何を話しているかと思っていましたが驚愕しました。

議題が終わると、売上目標を達成していない部門の主任に対して、社長や工場長が「どうしてくれるんだ」「お前が払えるのか」「責任をとれ」など罵声を浴びせます。

会議は19時からスタートし、長い時は4時間に及ぶこともありました。

一切何も決まることはない、ただターゲットを精神的に追い詰めるだけの環境は公開処刑そのものでした。

素材部の主任は売上が足りないことで、朝7時から翌朝2時まで19時間労働に加え土日出勤していたこともありました。もちろんサービス残業です。

違法行為を平然とやってのける腐りきった組織

腐りきった組織

「残業代は最高30時間分しか支払わない」これが会社のルールでした。

実態は、月平均84時間の残業でしたので54時間の残業代は不払いになります。

もちろん労働基準法では違法になりますし、厚生労働省が定める過労死ライン「時間外労働80時間」を超えています。

しかし会社にはタイムカードが存在せず、あるのは手書きのメモのようなもの。

一度、労働基準局に密告した社員がいて監査が入ったことがあります。

社長夫人である専務は監査員に対して、「私は知らない、社長が不在なので後日」と追い払いました。頭の悪い専務にしては好判断だったと思います。

後日、監査員が来社したときには手書きのタイムカードは隠ぺいされ、労働時間を改ざんしたパソコンデータを何事もなかったように見せていました。

頭の悪い専務が機転がきいたのは、裏で教祖様の指示があったからのようです。

労働基準局のやる気のなさにはガッカリでした。必ずしも行政が助けてくれるとは限らないと身をもって学びました。

その他にも廃オイル垂れ流し、ガソリン保有量隠ぺいなどの消防法違反、フロンガス未回収、エアバック中古販売、廃車データの改ざんなどのリサイクル法違反も当たり前のように行われていました。

すべての違法行為はトップダウンにて遂行されましたが、社会的制裁を受けることはありませんでした。

9年間昇給無し

貧乏暇なし

入社5年目、上がることのない賃金と定額制の残業代で、給与明細は1円単位まで毎月同じ数字が並んでいました。

そんな頃、リサイクルバブルが終わりを迎え、会社の売り上げが落ち込みました。

すると社長は早々に「一時的に従業員の給与を10%カット」を宣言。もともと低すぎる給料が、さらに削り取られます。

給料が戻ったのは1年後。しかし、ここでも経営者の頭の悪さが発揮されます。

当時28歳の僕の給料は残業代を入れた総支給で158,000円。

ここから10%減額され142,200円。これに10%増額して156,420円。

もとに戻ってませんよね…

しかも1年前に自ら言い放った「給与10%カット」の事は忘れて、社長は「昇給してやったんだからもっと働け」状態です。

結局、辞めるまでの9年間昇給することはありませんでした

僕が仕事ができず昇給しなかったわけではありません。

実際に、こんな不思議な現象も起きていました。

・なんの知識も経験もない中途採用(21歳)の新人が月給14万円

・高卒入社3年目の真面目な後輩(21歳)が月給12万円

ボーナス時期が近づくと…

高級外車ベンツ

基本的にどんなに会社が儲かっていてもボーナス支給の義務はないと僕は思っています。

経営者が出したければ出せばいいし、出したくなければ無しでもいいのです。

そのためボーナスの扱い方は、会社が従業員に対する気持ちが反映されるものです。

僕の会社ではボーナス時期が近づくと、社長様ご夫婦はいろんなお買い物をなされるのでした。

  • プジョー 450万円x1台
  • トヨタランドクルーザー 700万円x2台
  • ベンツSクラス 2,000万円x2台
  • クルーザー ?千万円
  • 自宅 ?千万円
  • 別荘 ?億円x3軒

もちろん会社の経費で購入する素晴らしいほどの公私混同っぷりです。

残った雀の涙ほどのお金をボーナスとして従業員に各2~3万円支給してくれます。

僕は32歳までの9年間、年収は200万円を切っていました…

モラルが崩壊した社員たち

モラルが崩壊した社員たち

人はこのような環境に置かれると精神が崩壊するのでしょうか?

勤続9年間で僕が知っているの事実のみをお伝えします。

  • 工場長:会社の資材80万円分を横流し、事務員と不倫、パワハラ、セクハラ
  • 営業部長:客と共謀し仕入れ金横領、暴行事件、パワハラ
  • 主任A:社内で宗教勧誘、違法行為隠ぺい、改ざん
  • 主任B:暴行事件5件、ネット書き込み、不倫
  • 主任C:28歳で糖尿病、余命1年宣告
  • 主任D:不倫、パワハラ、セクハラ、無断欠勤
  • その他:窃盗横領50件以上、社内不倫14名

有能な人間は辞め、無能な人間が自動昇格する

無能な上司

僕の会社では最大で年間22名が退職しました。

従業員数50名前後の会社なので44%にもなります。

しかし、こんな異常な数字でも「なぜ辞めてしまうのか」とは会社側は考えもしません。

就職口が少ない田舎では、求人を出せばいくらでも使い捨て人材は集まってくるからです。

そして、むしろ退職した人間が「悪人」として扱われます。

「あいつは仕事ができなかった」
「あいつは会社の秩序を乱していた」
「あいつは不幸になる」
「あいつがいなくなって膿がでた」
「こんな良い会社を辞めるなんてバカだ」

どれほど会社に貢献した仕事ができる人物でも毎回同じように悪人にされます。この繰り返しに嫌気がさし、さらに退職者も増えていきます。

ただ僕は、退職した人達は全員が「有能な人間」だと僕は感じました。現在の状況を理解し受け入れ、将来を見据え違う環境に踏み出す勇気がある人間だと。

そして、現在も会社に残っている人は完全に「無能な人間」です。そもそも、僕の会社で主任や部長などの役職に就いている方々は全員仕事ができません。

辞めるタイミングを失いダラダラと勤務していた結果、直属の上司が辞めていき、自動的に昇格した人間ばかりだからです。

長年ブラック企業に勤めると、心までむしばまれるのでしょうか?

彼らは仕事ができないだけならまだしも、性格は腐りきり「ひがみ、そねみ、ねたみ、つらみ、うらみ」だけの廃人になっていました。

僕がブラック企業と知りながら、9年間勤務し続けた理由

ブラック企業を辞められない僕

これほどまでにブラック企業を語るなら、なぜ僕は9年間も会社を辞めなかったのでしょうか?

正解は、辞めれなかったのです。

これは、僕の最大のミスだと思っています。

当時、23歳の僕は東京で2つの会社を転々とした後、いざ地元に戻りまじめに働こうと「Uターン転職」でした。

この会社に入社後は、転職したくても地元には「いい仕事なんてない」、3社目の会社ということもあり「次は無い」と自分に言い聞かせていました。

時は5年6年と過ぎ、気が付けば日々の労働で疲れきり、少ない休日も寝ているだけの生活。

まさに「貧乏ヒマなし」でした。

この頃には、転職を考える気力すらなくなっていました。これがブラック企業のアリ地獄的に恐ろしい部分です。

そんな中、29歳で結婚。もちろんお金がないので披露宴や結納金は無しです。仕事に関しては何も考えないようにしていた僕が動いたキッカケは、妻の妊娠

ある朝、目覚めた僕に向かって妻が「子どもができた」と突然告げたのです。

妊娠を熱望していた僕は、一瞬にして天にも昇る気持ちになり、未来のイメージが脳裏を駆け巡ったのを今でも覚えています。

しかし、それは幸せな未来ではありませんでした。

このままでは家族を守れないという恐怖心と危機感が、ようやく僕を転職へ踏み出させたのです。

そのとき僕は31歳。

30歳以上で資格も経験もなし」の再就職は困難を極めましが、6ヶ月の就職活動を経て無事に転職することができたのです。

退職から4年が経っても、会社の悪い噂がいまだに聞こえてきます。

ブラック企業の体質はカビのように根強いため、すべての経営者、幹部入れ替わらない限りホワイト企業になることは皆無だと思います。

僕が転職を決めた会社はこちら↓

本当にあった怖い会社!僕のブラック企業体験談その2

2016.06.17

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ABOUTこの記事をかいた人

1981年生まれ。 12年のブラック企業勤務を経て、「ブラック企業被害者の会」の講師に認定される。現在は、自分と同じ過ちを繰り返してほしくないとの信念をかかげ、勢力的に講演活動を行う。熱い言葉の中にブラックジョークが散りばめられた語りは20代の若者に人気。一女一男の父。